石津忠の
「アメリカぶらり旅」

Part13


8月9日(日)

朝8時。ノックでKさんに起こされる。帰る前にも一度カジノに行きたいそうだ。かんべんしてくれ。(というか、朝6時30分に起きて一度ひとりで行ってきたそうな。なんちゅうひとだ。)
と言いつつも行って、結局また20$ほど搾取されてしまう。再度傷を負う。

それはともかく、帰りは行きとは違う道を通って帰る事になり、サクラメントで降りて昼食を摂る事となった。そのついでにちょっと港のほうに出てみると突然こんな物が走ってきた。なんせ踏み切りが無いので(おいおい)これぐらい近くで撮れる。目の前で撮ろうかと線路の上に立ちながら「いい写真を撮りたいなら死ぬような思いをしなきゃだめ。」と言う鳥坂先輩の言葉が思い出されたが、ほんとに死ぬわけにも行かないので止めてしまった。度胸が無いなぁ。

ともかく、昼食を摂って再度シリコンバレーに向かって走り出す。帰りはLさんに運転を変わってもらったので途中何度か意識を失う。と、失っている間に到着したようだ。

そのご、会社のKさんのうちに行きまたバーベキューをごちそうになる。今回は奥さんとあの子が日本のほうに帰っておられるそうで「トランポリン地獄」はなかった。ほっと胸をなで下ろす。

そのご、ホテルに戻り就寝。


8月10日(月)

週末も休むまもなく遊んでいたので体はぼろぼろである。その上日記を書く時間も無くなってきたのでこれを書いてるのは木曜日である。(すでに日記ではない)

日本ではもう夏休みに入っているのかと思うとなおさらつかれる。
京本に電話してそっちの状況を聞いて怒りで目を覚まそうかな。


8月11日(火)

先ほども書いたがこれを書いてるのは木曜日である。
ゆえにこのあたりのことほとんどおぼえてなかったりする。
そんな訳で、これぐらいで勘弁して。


8月12日(水)

昨日と同じ。(のび太の日記か、これは。)


8月13日(木)

さすがに昨日と同じという訳にも行かないので、ちょっとはかこうと思うが、特に書く事も無い。

昼飯はモンゴリアンである。なんのこっちゃわからないかもしれないが、
「そーゆーものだ。」
と思っていただければよろしい。
この店、調理方法がなかなか変わってて面白い。客はどんぶりの中にセルフサービスで、肉野菜をつめて、それにソースなどをかけて味を決める。それをカウンターの奥にいるおっさんに渡すとおっさんがそれを巨大な丸い熱した鉄板の上にぶちまけその円周を回りながら長い木の棒で食材を滑らせて炒めると言うものである(しかも2人同時に行われている)。文章で書くとなんのこっちゃわからないが、かなり異様な光景である。ともかく、
「そーゆーものだ。」
と思っていただければよろしい。
ちなみに味はなかなか上手い。

そんなこんなでまた会社を出たのは12時すぎ。
時差が16時間なのでいまごろ日本ではみんなで拍手してるんだろうなぁとか考えながら仕事をする(別に日本中がコミケじゃねーんだから)。

この日記のまとめ書きをした後、就寝。(予定)


8月14日(金)

日本にいたらいまごろコピー誌でも作っているころかななどと考えながら仕事をする。(そんなこと考えながら仕事するな&今ごろつくっとるのかい)

にしても、やっぱりコミケに行けないと言うのは精神衛生上つらい。前回は本出す場所が無かったから行かなかったけど、今回は合体相手のクレイ・モア氏が通っているので、なんか出来たのに、とか考えてると思わず仕事中にTINAMIからネットサーフィンしてしまう(仕事しろよ)。

そうなんだよなぁ、こっちは暮らしやすいんだけど、やっぱりオタク文化に関してはまだまだ発展途上中だもんなぁ。どんなに太陽が眩しくても、どんなに空が青くても、俺がオタクでいられないのならそれはすべてかりそめの幻に過ぎない。あんたたちから見れば薄汚い存在かもしれないが、俺はずっとそんなふうになりたいと思っていたんだ……。って、思わずカイルみたいな考えかたしたりして。

こっちへの出張の2ヶ月間と言う期間は、自分がどれだけオタクであるかを再認識するための期間だったのかもしれない(やな期間だな)。でも、ほんとにこっちに1ヶ月以上滞在するとわかるよ。

 

 

 

 

「どれだけ日本という国が恵まれているかを。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…………だって俺、いまなら「おたくのビデオ」のインタビューに出ていた外人の気持ちが分かるもの(笑)。


木下:……こいつはアメリカにきてもかわんねーな。

吉田:……というより、「歯止めがきかなくなった」んじゃないの?

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